コロナ禍の中で、塾を続けることについて
今、私たちは、これまで想像したこともないような世界規模の未曾有の危機の中にいます。誰もが、目に見えないウイルスの脅威にどう立ち向かえばいいのか、先の見えない経済停滞の中で、どう生き延びればよいのか、戸惑い、恐れ、緊張と焦燥感に苛まれながら、日々を耐え忍んでいます。
他人と会えば、自分がウイルスに感染したらどうしようか、と不安になり、咳をすると自分は感染しているのではないか、いざとなれば病院は診てくれるのか、持病のある自分はどうなるんだろう、自宅待機が長引いて、そのうち容態が急に悪化するかも、いや、それより、家族が全員、濃厚接触者になってしまう、と誰もが強い不安を感じながら生活しています。
自営業者は、ただでさえ、客がいない、売り上げが落ちている、今後も当分は状況の悪化が続くだろうし、このままでは、いずれ、財政的危機に陥る。そうなると、取引先への支払いができない、従業員の給料が払えない、家賃やテナント料が払えない、ローンも払えない、生活費も足りないと不安になり、夜も眠れなくなります。
救急車の音を聴くたびに、またコロナか、と思う。夜の街を、食料品や入用なものを買うために、まだ24時間開いている店を探して車を走らせていると、普段と違って街が死んだように静まり返っている様子に慄然とするのです。
状況はどんどん悪くなるばかりで、しかも、これがいつまで続くのか、どこまで悪くなるのか、まったくわからない。先が見えない。
こうした不安が、知らず知らずのうちに、心に負担をかけているのです。喩えてみれば、身体に重い石を押し付けられ、押し潰されそうな状態が続いているのに逃れる術がない、そんな状況です。
これまで、なんの疑問も不安も持たず、当然そうあるべきものとして、寄りかかって支えてもらっていた現実の保護環境が、あれよあれよという間に崩れていく感覚は、私たちの存在基盤を根本から揺さぶり、言い知れない不安と動揺を生むのです。
けれども、この苦しみが永遠に続くわけではありません。たとえウイルス自体の収束には、集団免疫の成立まで数年を要するとしても、少なくとも来年の春頃までにはワクチンができます。また、ある程度の集団免疫のお陰で、爆発的感染拡大も抑えられるようになり、医療体制も整ってくるでしょう。ともかく、この1年を持ち堪える覚悟をしましょう。夜は必ず明けるものです。
けれども、この一年、ただコロナ禍に翻弄され続けるだけで、無為に過ごすわけにもいかないでしょう。かつて、第二次世界大戦の最中、空襲の脅威に晒されながら、それでも、大学では授業が行われていたと言います。極限状況の中でも、いや、明日は命があるかもわからない極限状況だからこそ、尚更、人は〝知〟に飢え、ホンモノの学問を求めたのです。学生たちも、教授たちも、情念にも似た情熱を持って、授業に参加していたと、当時の経験者は語っています。
私は、一介の極小規模の学習塾の経営者に過ぎません。けれども、このコロナ禍の最中でも、学問の小さな火を灯す灯台でありたいと、おこがましくも、思っています。
確かに、現在、うちのような小規模塾も、県からの休業協力を求められています。しかし、このゴールデンウィーク中、恩納村のホテルの予約は、すでにほとんどのホテルで満室か、それに近い状態です。県外から、どっと観光客が押し寄せ、同時に、ウイルスが県外から持ち込まれるのは必至の情勢です。ですから、私は、ゴールデンウィーク中は、どこにも出かけず、家に籠もっていようと考えています。
塾生たちにも、よく言って聞かせるつもりです。「ゴールデンウィーク中、観光客が立ち寄りそうな場所には、決して行ってはいけない」と。
その上で、私は、建物はそれなりに大きくても、内実は、小さな寺子屋のような、このささやかな学習塾を、コロナ禍を通して、一年続けていこうと考えています。
このような極小規模塾ですら、誰も生徒が来れないような事態、休塾せざるを得ない事態になったとしたら、それは、県内の感染者が数千人規模に、感染死者が100人規模になり、沖縄県全体が、あるいは中城村が、完全に都市封鎖(ロックダウン)せざるを得ない状態になった時でしょう。私たちには想像しにくい究極の感染爆発の状況ですが、これは、現在、アメリカのニューヨーク州や欧州各国で、実際に起きている状況です。
しかし、沖縄県は、今のところ、そこまで破滅的な状況ではありません。
そして、そのような破滅的な事態にでもならない限り、私は、子どもたちの学びの場として、この塾を、この一年、守り抜きたいと考えております。
学校の休校が続く中、子どもたちにとって、大切な学びの場であり続けられるよう、今後も、細心の注意を払い、生徒の席は2m離し、十分な換気をし、マスク着用の上、授業を行なっていきます。
宜しく、ご理解くださいますよう、お願い申し上げます。